以下は悶々とした私の日常の発散記事。読まないほうがいいと思いまふ(´・ω・`)
私は、「実は」も何もないのですが就職活動をしなくてはならない身です。しかしながら、昨今の日本経済の先行き不安・・・なにも、私の就職活動時期にあわせて不況にしなくたっていいじゃないですか、米国さん。
現在はエントリーくらいしかしていません。本当は説明会などに積極的に足を運ばねばならない時期になってきたのですが、焦り・不安は感じるものの足がまったく動きません。
「 自分は、自分の力(技量など)は何ができるのだろうか 」
こう言っては誤解を招きかねませんが、自分は自分のことを意外とオールラウンダーだと思っています。対象が仕事であるならば、大抵の事は人並みにこなせる自信はあります。じゃあ、就職先はどこでも良いのか?と聞かれれば否。
思い返せば今の学校に入ったのはアノ人の一言が大きかった。将来に希望なんてないし、夢も、予定もなかった私と対照的に、自分のやりたいことを見つけて努力していた当時の親友。その親友に、なぜその進路を選んだのかを聞いたときでした。
『 人を笑顔にできる職業に就きたい!だから、私はこの進路を選んだ。 』
本当はもうちょっと違うニュアンスだったのですが・・・当時の私には、その親友の一言にビックリしました。同じ蚊帳の中にいたはずのヤツが、目の前でこうして遠くへ羽ばたこうと頑張っている、と。当時の私なりに自分のミライと向き合った結果、やはりやりたいことが絞れなかったので、自分が好きなことの中から人のためになることをしようと決めました。そして、選んだのが〝 人と 人を つなぐ 仕事 〟でした。そこからは自分なりに必死でした。それまで、のほほんと暮らしてきていた過去を振り返り自分から行動しようと発起しAO推薦を受験。そして合格。今に至ります。後輩に一言伝えられるなら、
「推薦は受けずに一般で入学したほうがその後のためになる」
ということかな?推薦で入学すると学力不足で出遅れますね。はぃ。それでも、お得意のオールラウンド精神(?)を発揮して、特に勉強せずとも今の学年まで留年なしで進めています。まぁ、単位的にはギリッギリなんですけどね(笑)
今は
「自分に何ができるか、何をしたいのか」
を考えています。でも、これじゃイケナイって昔から分かってる。自分に何ができるか、という自分の手の届く範囲内で行動しようなんて、本当に昔から変わらずにオコチャマだと思う。未だに私は昔の蚊帳の中にいるんだな、とつくづく思う。だから、今年の目標は自己改革だった。なにかを変えなくちゃ、と思って自分なりにもがいたつもり。ただ、蜘蛛の巣ってもがくほど、糸が身体に絡まるんだよね(苦笑)
その親友はこの前、こんなことを言ってた。
『私も前は(瀬田と)同じ場所にいた。けど、自分がやりたいことを見つけて頑張って勉強して見方が変わった。』
その人と距離を感じた。もしかしたら、一生拭えないかもしれないこの距離感。近かった親友が遠くに行ってしまった喪失感。本当に寂しい。それでも、自分は未だに居心地の良いソコから動けずにいる。こんな僕は、なにかの為になれるのだろうか。
そう言えば、人が生きる意味についても語った気がする。私は意味が必要だと思ってました。しかし、「必要ない」と言い放ちました。でも、意味=理由=目的と考えないと無駄に毎日を繰り返すだけになっちゃう。変化のない日常の積み重ねは、無意味だと私は思う。そう 「 変 」 が必要なんだと。
何が原因か、まったく分からないけど何かが胸につかえてる・・・これがある限り、前には進めない気がするけどそれが何か分からない。堂々巡り。あーあー、とにかく動かなきゃ。動かなきゃ!!
もっと素直なモノの見方が出来れば、もっと楽にだったかもな。
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