変な奴だと思ってくださってかまいません。以下、長くなります。ツマラナイので読まなくて結構でふ。
私、手の絵を描くのが好きです。まぁ、自分なりに納得できるくらい描ける簡単な対象物だからというのもある。でも、それ以上に人間の手って面白い(interesting)と思うんですよ。「目は口ほどにモノを言う」なんていう言葉がありますが、「手は口ほどにモノを言う」という言葉があっても良いと思うんですよね。
手はその人の人生を象徴すると思うから。野球選手の手、プロライダーの手、焼き物職人の手、赤ちゃんの手、老年の方の手・・・全部違う。だから面白い。
それと、「手は握るものではなく、繋ぐもの」なんていう言葉を聴いたことがあります。なんの言葉だったか今では思い出せないのですが、この言葉は奥が深いと思います。
握るというのが指すのは拳、つまり対立や拒否だと思います。反対に繋ぐというのは協調や譲歩を指すと思います。つまり独り頑なに、疑心暗鬼にならずに心を開いて人と接せよ。という言葉だと私は理解します。
手で表現できることって多いんですよ。きっと。
今の気分にちょうど良い写真(画像)のストックがハードディスクに見つからなかったので、ささっと手の絵をデッサンして写真を撮って・・・そしたら、どうでも良い前置きがついてしまいましたね(笑)
本題はココからなんです。
「 言葉は人を傷つける 」
これは本当にそう思います。しかしながら、逆をとって
「 言葉は人を助ける 」
というのも本当にそう思います。
それは私が中学一年生になったときだったと思います。小学校六年生のときに私を本当に可愛がってくれた厳格な祖父が他界して、毎日が同じようなことの連続だということに気づいてやる気を失っていた時。それまで、片手で数えるほどしか会った事がなかった叔父が、我が家を訪ねてきました。あいにく、家には私しか在宅しておらず、家にあがっていただくことができなかったのですが、玄関先で少しお話しました。あまり話したことのない相手なので、ぎこちなく話していたと思うのですが叔父が私を見て言いました。
『タツロゥ君、いいよね。』
「へっ?何がですか??」
『いゃね、タツロゥ君の笑顔って和むよね。君の笑顔は人を幸せにするよ』
本当に嬉しくて、嬉しくて。数年たった今更、また誰かに言いたくなって。ぶっちゃけた話、私は自分が嫌いですし、自分の顔だって好きじゃないです。だけど、こうして他の人が私を認めてくれたということが当時の私、いゃ、今の私にも大きな力になっています。どうせ同じ〝コトバ〟を喋るなら、他の人のためになる言葉を発していきたいと思いました。
コトバって不思議。
「私、瀬田君の手が好き。」
と言われただけでも本当に飛び上がるくらい嬉しい。私は、大声で誇ってもいいくらい、周りの人に恵まれていると思います。
不束者ですが、これからもよろしくお願いします。
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